「日本じゅうの子どもが日本語をしゃべっている!」
(鈴木鎮一著「愛に生きる」より抜粋)
世界各国の子どもたちが、どの子も母語(母国語)を立派にしゃべる、その教育法=「どの子も育つ」教育法です。
スズキ・メソードの教育法 =「どの子も育つ」教育法とは、どんなものでしょうか?

毎日、毎日、繰り返し、繰り返すこと
→赤ちゃんがお母さまお父さまのお話しになる言葉を聞きながら育つように、優れた音楽を聴き良い耳を育てます。
おけいこにおいては、できるようになったこと、弾けるようになった曲を毎日繰り返し、身についた時の「できた!」という喜びを積み重ねてゆくことで大きな能力が育ちます。

創始者の鈴木鎮一先生のご紹介をさせて頂きます。
1898年(明治31)
10月17日、名古屋市に生まれる。
💭鈴木鎮一先生のお父さま、鈴木政吉さんは明治21年に日本における最初のヴァイオリンを製作、名古屋に鈴木バイオリン工場を設立されました。
1946年(昭和21)【48歳】
長野県松本市下横田に松本音楽院を開設、院長に就任。
後に、才能教育研究会の前身である『全国幼児教育同志会』を結成。
💭2016年(平成28年)は、鈴木鎮一先生が『全国幼児教育同志会』を結成されてから70周年という、記念の年でした!
1948年(昭和23)【50歳】
同志会を『才能教育研究会』と改称。
1951年(昭和26)8月【53歳】
長野県霧ヶ峰高原で第1回夏期学校開催。全国から109名の子供たちと11名の指導者が集う。
💭2016年7月31日〜8月5日にかけて開催され、65回目を迎えた松本での夏期学校。
スズキ・メソードならではのイベントで、毎年朝から夜まで、音楽で包まれています。
まるで、音楽のシャワーを浴びているような数日間!
1964年(昭和39)3月【66歳】
10名の子どもたちによる第1回訪米演奏
行。米国全土の音楽教育界に”スズキ・インパクト”と呼ばれる大きな影響を与えた。
1996年(平成8)【98歳】
鈴木鎮一記念館が開館。
1998年(平成10)
1月26日永眠。享年99歳。
💭鈴木鎮一先生は、日本国内のみならず世界各国で、音楽・教育・能力開発に関する賞、名誉市民の称号を受賞されました。
「すべての子どもが、みんなよい人間に、しあわせなひとに、好ましい能力のひとになるように」…
(前述「愛に生きる」より抜粋)
世界の人々が、音楽のみならず、どの分野でも立派な能力を発揮することができるようになるには…?
名越チェロクラスでは、チェロを通しての能力の育ち方・育て方に注目し、指導者、お母さまお父さま、そしてお子さんを結んだトライアングルの形の関係を大切に、週に一度のレッスン、毎日のお家でのおけいこで意欲作りと音作りに取り組んでいます。
音楽は生活に豊かさを与え、年齢に関わらずどなたでも楽しむことのできる芸術です。
チェロの音色、そしてスズキ・メソードを通して音楽と共に歩む、その一歩を踏み出してみませんか?