私が子どもの頃、自分の進路について意識するようになったのは中学生の半ばからでした。
それまでは大きな「好き」も「嫌い」もなくチェロをひたすらに続けていて、自分の進路を考え始める時期になって初めて「これからもチェロを続けたい」という意志が生まれた私ですが、
普通高校に進学し、高校生の途中ではっきりと進路を音楽の道へと定めました。
8年近くお世話になったスズキ・メソードを一旦退会し、親先生にご紹介いただき音大の先生に師事することになりました。
さて、その道のりで、両親と親先生に「チェロの道に進みたい」と伝えた訳ですが、それまでの私のチェロに対する熱心さ、おけいこしてきた時間ときたら、ここには書けない程でした……
ある日「◯◯君はレッスンから帰ってきたらその日のうちにすぐ練習してるんだって」と意味ありげに声をかける母、「フーン」と答える図太い神経の私……。
そんなのんびりした私がある日突然「音大に行きたい」と言い始めたのですから、両親と親先生はさぞ驚いたことと思います。
また、今考えると両親は普段の私の様子を一番近くで見ている訳ですから、私が今更チェロのおけいこを頑張ったところでチェロ弾きとしてやっていけるのか、心配ではなかったのだろうか?と私なりに疑問に思いました。
そこで、
父と母に「ブログに書きたいのだけれど」と直接、本当のところを聞いてみました。
神戸で1,000人のチェロコンサートに参加してから、音楽の道に興味を持ち始めたのではなかったかな?
音大は費用もかかるし、厳しい道のりというイメージが強いけれど、チェリストとして(嫌な言い方ですが)ものになるか、ならないか、ということは心配ではなかった?
まさかそんな道に進むとは思ってもみなかったけれど、貴女が行きたい方へ進んでほしいと思ったし、貴女自身が音楽の道へ進みたいという決断を持ったことが嬉しかった。
両親の言葉を聞いて・・・
もともと、私がチェロを始めたのはクラシック音楽を愛する父が「子どもに何か弦楽器を始めさせたい」と、母と共にクラシックコンサートや教室見学に連れていってくれたことがきっかけでした。
それも「チェロをやりなさい」という与え方ではなく、私自身が「チェロを習いたい」と言い出すまでは促したりせずひたすら待っていてくれました。
両親の言葉を聞いて、私は鈴木鎮一先生のご著書の一節を思い出しました。
(鈴木鎮一著「才能開発は0歳から 復刻版」(1969/2013)より)
鈴木先生のメッセージの通り、私は親元を離れてからも自分の人生に寄り添ってくれる「音楽」という贈り物を幼少期から与えられ、音楽に限らず自分の進みたい道を見つけるという「目には見えない力」を育ててもらっていたのでした。
私の進む道を無条件に応援してくれた両親に、心から感謝しています。